わたしは、母を中学2年生の時に、父を今年(2007年)1月に亡くしました。「千の風になって」を聴くと涙が浮かぶこともあります。
父も母も広島の人でした。父は、一家6人全員が被爆者です。原爆症のために次々に死んでいきました。父は死ぬまで、弟を自殺に追いやったのは自分と思い込んでいました。「いつもごろごろと寝てばかり。若いんだからもっとしっかりしろ」、と海軍仕込の父が厳しく叱咤激励している姿は、目に浮かびます。叔父の久志さんは、20歳そこそこの若さでいのちを絶ちました。今から思うと叔父は重い原爆症だったのでしょう。もっと生きたかったはずなのに、どんなに無念だったことでしょう。父は、被爆のことも、家族のことも語りたがりませんでした。被爆者は、胸に深い傷を負って生きてきたんだということを痛感します。
母は、満州からの引揚者です。満鉄の浄書室にいました。美和寮に住んでいたことから、戦後、決まって5月の連休に新宿御苑で開かれる「美和の会」に家族で参加していました。(戦友会みたいなものかな)。母が一番若くして亡くなったようですが、最近、美和の会のあの人も亡くなったそうだということを聞くと、戦後60年以上経っているという思いが重なります。
今年の5月3日は、憲法施行60周年です。改憲手続法は9条改憲への第1ハードルです。絶対に阻止しなければと思います。
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