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■478号 被災地へ物資届け
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瓦礫の処理はまだまだ遠い |
トラック満載にして
支援ボランティアに参加した27名は、7月29日23時半、物資を満載したトラックを含め4台の車両に分乗し、目黒地区委員会を出発し、8月1日帰りました。
長い救援活動に
秋山善次郎気仙沼市議の案内で被災地を視察し、津波の破壊力の恐ろしさを目の当たりにしました。 瓦礫処理のトラックが行ったり来たりしていましたが、その量の多さはケタ違いの上、政府の対応があまりに遅く不十分なため、長期の取り組みになりそうです。冷凍倉庫のあったあたりは、いまだにヘドロの臭気が漂う中、カモメが群がっていました。
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海水がはけず、臭いもひどい |
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魚市場はカツオの水揚げは再開したものの 秋山市議から説明を受けるボランティアのみなさん |
住宅も物資も
仮設住宅の建設も十分進まず、いまだに当選できないため、多くの被災者が避難所生活を余儀なくされていました。
また、物資も不足するなかで、現地の党組織のみなさんは、自ら被災されながらも、全国から集まった物資を届け、アンケートで要望を聞き、これに応える活動を80回以上行ってきました。
仮設住宅へ
仮設住宅には前日、「物資の無料配布ご案内(物資引換券)」を配布しています。
不足だらけ
「住宅にお住まいのみなさん。私たちは、日本共産党気仙沼支部です。住宅に住むなかでいろいろと不便や不都合があることと思います。それを少しでも解消させていただきたいとの思いから、不十分ではありますが、支援物資を無料配布させていただきます。 また、今日お届けしております市民の声調査アンケートにご記入の上ご来場くださいますようご案内いたします。日本共産党気仙沼救援本部。」。
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見やすく並べ物資渡しの準備 |
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野菜を袋詰めしている |
被災者の声え
7月30日、五右衛門が原テニスコート住宅(32戸)でのこと。杖をついてきた高齢者のAさんは、支援物資を下げて帰るのが大変だったので、荷物を持って一緒に玄関先まで届けると、「上がっていけ」というのです。一人暮らしで話したかったのでしょう。
共産党に感謝
港近くに住んでいた。津波が来るから逃げようと、妹がしきりに言っているところへ、弟が車で向かいに来てくれ、3人で小学校に逃げた。もう足が動かないから2階まででいいだろうと言うと、妹が、3階まで行かねば死んでしまうと言うので、やっとの思いで3階に上がった。2階まで津波が押し寄せてきたので命拾いした。校庭では何台もの車が、津波の渦にのみこまれて回っていた。南気仙沼小で4カ月間避難生活を送った。共産党さんには大変感謝している。
ローンに苦しむ
岩が崎公園住宅(22戸)のKさんの話。3月初めに太陽光発電のパネルを設置し、東北電力に電気を売り始めたが、その1週間後に、震災にみまわれ家もろとも太陽光パネルも被災した。3月末から太陽光パネルのローン返済が始まった。職場は漁協だった。話し合いの中で、退職金は出たが返済がきつい。ローンの負担軽減は、自動車や家屋を対象とする話だが、太陽光パネルも含めたものにしてほしい。
屋根に庇がない
私の仮設住宅には庇がない。施工業者によって違うのはおかしい。玄関には、後づけの庇をつくったが、隙間から雨が落ちてくるので玄関の出入りの時に濡れてしまう。
要望に応えて
前日配布した調査アンケートには、様々な要望が書かれていました。その一つひとつにていねいに応えていきます。支援物資の要望は、多様なものですが、あればすぐに配達しています。ちょうど目黒から持って行った扇風機の要望に応えることができました。
満載物資全て届ける
トラックに満載し、ワゴン車にも押し込んだ支援物資は全て被災者のみなさんに届けることができました。救援センターには、全国から引き続き物資が宅急便などでも届きます。それらの物資の整理整頓も含め、センターの人ではやりきれない活動を支援してきました。
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