森美彦 日本共産党目黒区議会議員 葉っぱ
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森美彦のモリモリ区政報告

501号 補助金削減で原爆展中止



社会派アート

 先月7日、社会派アート 阻む財政難 原爆展また中止という見出しで、次の記事が東京新聞に掲載されました。「社会問題を鋭くえぐりだす意欲的な展示で知られてきた目黒区美術館が、苦境にあえいでいる。区の財政難で予算が大幅削減され、大規模な展覧会を開く余裕がなくなってしまった。数々の受賞歴を誇る「公立美術館の星」は、どこへいくのか。」

目黒区美術館

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の影響で昨年春、延期となった「原爆を視(み)る 1945―1970」展は、2012年夏の開催に向けて準備を続けてきましたが、開催断念を伝える目黒美術館からの手紙を関係者は、今年3月11日読むこととなりました。

関係者の無念

 「失われた展覧会の意味の大きさをあらためてかみしめ、全身の力が抜けていくような感覚に襲われていく」思いを抱いた関係者の無念が、被爆2世の私にはよくわかります。

平和都市宣言

 目黒区は1985年の平和都市宣言以来、様々な平和祈念行事を続けてきましたが…。
 幻の原爆展とはいったいどのようなものだったのでしょうか。

原爆の影響を検証する企画展

 広島と長崎への原爆投下やその後の原水爆実験を主題とし、その影響を、美術家や写真家、マンガ家らがどのように表現し、鑑賞者や読者がどのように受け止めてきたのかを検証しようという企画展。
 原爆投下直後の広島市内で撮影されたキノコ雲の写真、全国を巡回し「反核平和運動の象徴」となった丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」(初期3部作)、渋谷にある岡本太郎の壁画「明日の神話」の最終下絵、滝田ゆうが東京を舞台に被爆した姉妹と父を描いた漫画『ああ長崎の鐘が鳴る』…。

原爆資料を発掘

 埋もれていた資料を各地で発掘し、1945年から70年までの間に制作された計600点を展示する予定でした。1950年代前半、とりわけ米軍占領下の時代の「原爆の図」全国巡回展の動向を、当時展覧会をみた方々の証言をもとに全国の図書館の協力を得て掘り起こした資料も多数。

今こそ開くべきとき…

 美術館は中止の理由として「大震災の惨状や原発事故による深刻な影響を受けている多くの方々の心情等に配慮して」としていましたが、 展覧会の準備に協力してきた広島や長崎の原爆資料館や被爆者団体は中止の決定を残念としており、美術関係者らには「今こそ開くべき展覧会」などの声が上がっていました。 その後も「放射能の恐ろしさを考える機会として、今こそ意義も反響も大きいはず」など、開催を望む声が多数寄せられ、田中美術館長は「原爆の影響を目で学ぶことのできる自信のある企画なので、来年はぜひ開きたい」「被爆からどう復興してきたかを知る意味でも意義は大きい展覧会で、2012年度の開催を目指したい」としていました。

企画展の補助金を7割カット

 ところが、今年度は企画展予算7割カットの見通しと分かり、美術館を運営する芸術文化振興財団は復活を求めていましたが、予算確保が見込めないことから中止を決めました。「原爆を視る」展の図録用に集めた資料は、500ページ以上。企画を担当した正木学芸員は、「展覧会が幻に終わっても、資料集の形で理念を伝えていきたい。刊行は社会的責務です」と語っていますが、約800万円の費用は容易ではありません。
平和予算も削減、今年は広島への小中学生派遣も人数が減らされました。

偽りの財政危機キャンペーン

 そもそも、日本共産党区議団は、青木区長の策略的な記者会見を鵜呑みにして「目黒ショック」などと書きたてた新聞報道を批判してきました。目黒区は、偽りの「財政危機」を大宣伝し、暮らしや福祉、防災対策などの区民施策を大削減し、一方で新たな大型開発を推進する区民不在の大仕掛けに出ているのです。
 あらゆる分野での反撃のたたかいこそ必要です。


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